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そうか、あのひとは。
連絡とりたいけどとれない。
もうあたしの人生にかかわりの無いひとなんだ。
たぶん。
だからーメールを送る事すら憚られるんだな。
もっと丁寧に接しておくべきだった。
こんなに短い間しかかかわりをもてないんだったら、さ。
とか思って早1年半強。
最近は時の経つのが早くてかなわん。
どのみち、人と水は一緒だから、ひとところに留まってはいない、でしょ。
だったら今、彼らと親しくなる事も、親しかった彼らと疎遠になるのも
当然というやつで、だからあたしは出来るだけ中心をずらさず行きたい。
たのしかったーあの瞬間も、一昨日の車中も、今日の挨拶も、
3年前の食事も。
でもそれは流しそうめんみたいなもんで、目の前をスルー。
だったら一々無関心でいたい。
奇跡的なのはあたしが弁えすぎるほど弁えてて、
そして彼らの嗅覚に何も残さないまま同じ空間に居られたことだ。
魅せるほどのもんが何も無いってそーゆーことさ。
仕事っちゅーか日常っちゅーか。
今日は先輩と往復4時間の道のりを得意先周りながら
作業作業の、中味はスカスカだけど車中の時間が
すげー長いという謎なスケジュール。
昨日も夜中迄飲んだくれてたし、車酔いの心配があったのだけど
先輩が気をつかって色々話題を振ってくれたりラジオ弄ってみたり
(そのお陰で吉井さんがゲストの番組も聞けた!)ご飯奢ってくれたりした。
何しろ車中4時間あったので、沈黙あり笑いあり熱唱ありの
予想以上に楽しい空間だった。多分先輩のお陰。
ほんとに、気遣いの男だよ・・・。
正直言うと、普段は素っ気無いっちゅーか、気を遣える人だから
あたしが振った話とかに一応反応はするけど、心から興味があるわけじゃ
ないんだろーなーって感じがしてた。
でも、やっぱりその気遣いスキルを甘く見てた事が今回分かって、
改めてすげーや、と思った。大人だなぁ。と。
だって今日は、いいおにいちゃんみたいに接してくれたから。
別に話したい訳じゃないんだろ、と思ってても気持ちよく話せるというか。
あたしも、本当は一緒に働いてる人たちみんなに凄く興味があって、
あれやこれや聞いてみたいし、しゃべる事自体好きなんだけど
なんつーかそういう自分が俯瞰で見たとき、凄くうざったいなあと
思ったので、あんまり喋り過ぎないように常に気をつけている。
今日も、喋り過ぎないように、というのは意識してたけど
会話するうちに、相手が此方を愉しませようとしてるのが分かって、
そういう人と話をするのも悪くないなあと思った。
彼みたいな人を見ると、自分も人間としてもっと成長しないと駄目だなあと思う。
なんつーか、対人スキル?というの?を、あげないとなあって。
しーかーも、ネズミ捕りに引っ掛からない秘訣みたいのを教えてくれて、
あたしがへぇーほー、などと感動してたら、その作戦が功を奏して
危機一髪の所でパクられずに済んだ!
あれはかっこよかったー、感動した、と思って事務所に戻って早速
皆さんに報告したら、そんなのは(作戦は)常識だよ、と一蹴されて
あたしの感動が伝わらなかった・・・。
ただあたしが物を知らなさすぎるだけだったのかなあ。
でも、この感動は、あたしのもんで、誰かのもんじゃないから。
あたしが感動したならそれでいいじゃん、なあ。
ようやく結婚も決まったみたいだけど、
なんか、早く売れて行く人ってのはそういう特長があるから
売れるんだな。
モテの素を実感しました。すげぇ。巧みの技だ。
思い通りに事が進まないとき。
てめぇでやれよ、と言うような電話が入ったとき。
絶対に筋が通っていないと思ったとき。
あたしは思った事をそのまま言い過ぎるのかもしれん。
金貰ってやってるんだ。
嫌いなものを、嫌いと言って、何がどうなるって言うのだ。
苛々を言葉に其の侭表して、何かの解決になるのか。
またまた、見下す若者だね、とか言われても仕方ないけれど
低脳で、この前研修で偉い人が吶々と解説してた
「悪質クレーマー」とか言うのと寸分違わない態度を取る、
そーゆーのが一番の客で、同じビルにオフィスがあると言うこと自体、
あー嫌だ嫌だ。
明日から毎年恒例の、何故かそういった低脳のお客のところへ赴いて
奴等の尻拭いをするという、全く不本意で、しかもあたしの本分じゃない事を
やらねばならぬ憂き目。
その意義を認識する事が不可能なんだけれど。
つまり、あたしはあいつらなんかと一生顔を合わせない侭で居たい、なあ。
あたしは明日、きっと笑顔で挨拶の一つもせずに、
すーっと其処へ入っていって、すーっと任務を終わらせて
帰ってくるんだろうなあ。
興味の無い人間やら、嫌いな人間には愛想を振り撒かないように体が出来てる。
いつからそう云う風になっちゃったんだろう。
少なくとも、アルバイトの時の、客ショーバイまっしぐらだった時には
こんな事なかったのになあ。なあ。
多分、純粋な客ショーバイじゃなくなっちゃってからかなあー。
ぶっ○してやる、と、思わない事も無い。
まったくさー。まったく。
仕方ないよね、金貰ってんだ、雇われてんだ、買われてんだ。
そーいえば、今朝の北海道新聞朝刊にのってた養老孟司の記事。
あれは、ほんと、その通りすぎて、なんだかね。
どうして皆目ェそむけるんだろ。
大人になると誰かの所為にするのが巧くなるのか。
今の時代、教員に成りたいと言うような事を語る人を、
何故何故如何して自ら苦難に立ち向かうかね、
と一歩遠ざけてみる事しか出来ないあたしは
やっぱり誰かの所為にしたいのかなあ。
なれないと、操作もおぼつかない。
ちゅーか、テンプレートの編集しづれえのったら無いなあ。
あんまりやりづらいので、ローカルでしこしこ手打ちで改造。
折角テンプレート編集機能ついてるのにさ・・・。
うまくプレビューできなかったりして、悲しい。
それはそうと、駄目序でに、本家掘っ立て小屋の方が
なんか復活してきちゃったみたい。
してきちゃった、って別に悪い事じゃないし寧ろ喜ばしいのだけどさ。
此処の使い方を迷うなあ。
生活の中で、たいしたネタにはならないのだけど、
どうしても気になる単語とか、言葉の組み合わせとかがあるので
そういうのを3行くらいで、ぱぱっと書く場所にしようかなあ。
本家掘っ立て小屋は、一つ一つの記事がべらぼうに長いからな。
とりあえず、テンプレート改造と言う作業を、飽きるまでやる。
プレハブが建ったのです。
本当は、http://kasumi1019.blogtribe.org/に小屋を建ててましたが
最近、地盤沈下が激しいのでプレハブ建てて様子見だ。
メッセンジャのメンバに登録されていた。
わたしは自分のホットメールアドレスを一般に公開していないので
心当たりもなし。
謎。こう云う事って良くあるのか知らん。
とりあえず、何処の誰かも分からんかったので放置。
ところで。
イケメンが苦手だ、ということについて
つらつらと書いてみたら、凄く凹んだよ。
軽はずみは自己分析は止めたほうがいいねと思った瞬間。
結論が、人間辞めたい、っていう方向に落ち着きました。
何故イケメンが、人間廃業に繋がるのだ・・・!
まぁ。どうせ廃業した所でその影響たるや
小さすぎて驚くほどなんだろうな、とは思う。
何だか気分が晴れないのは、久々に雨が降り続いているからか
昨日行った、イケメンウェイターがいる
フランス料理店が、イマイチだったからか。
凄く不思議な店だった。最上級のもてなし、を謳いながら、
味よりもそのもてなしに納得が行かなかった。
納得の行く行かないを通り越して、腹立たしいとすら思ったのは
料理を運んでくる女性が、甘ったるい香水をつけていたこと。
食事の場においてのマナー違反という以前に、
食べ物を扱っている職場の人間のやる事じゃないだろう。
そして、どんな料理でも変わらないナイフ。
肉料理の鴨がとても食べ辛かったです。
わたしはノンアルコールで通したけども、
カクテルなんかも扱っていて、まぁ食事中にそれを
頼む客自体どうかと思うが、チャイナブルーがワイングラスで
出てきたのもどうかと思った。
他にも、まぁ挙げ連ねればきりがない程あって
店の体裁やテーマには都会ぶったものがプンプンと感ぜられるけども
その中味といえば、いかにも田舎の悪い所を
わざと全面的に押し出したのでは無いかと思わせた。
個人的に行く機会は、今後二度とないだろう。
基本的に、頭でっかちな食事って好きじゃないんだけど
昨日の経験については多少頭でっかちな事を言いたくなるなぁ。
特にねぇちゃんの香水。
オフィシャルな場だったから昨日は断念したけど
個人で行ってたら、多分指摘しただろうと思う。
ホテルでフランス料理を頂いて
美味しいねと微笑みあった5月が懐かしい。
今日はNHK教育にニット界の貴公子が出ていた。
相変わらず、胡散臭いいでたち。
確か、高校生の頃に編物に目覚めた、と
彼がまだ是程有名になる前の婦人雑誌で読んだ。
首元にリボンはふっついてるし、変なおっさんだ、
という印象が強く残っている。
ところで(書き始めて2段落目で「ところで」かよ)
こういった広く一般的な話題を扱う時に
きちんと物を調べてから書けばいいのだろうが、
そう云う行動を以前よりはめっきり取らなくなっている。
それは多分自分で文章を書いてそれをwebのコンテンツの
末端の末端として乗っけることに抵抗が薄れてきたからだろう。
危険だ。
改めて、あえて極めて個人的な関心や出来事や
調べもしない知識などを、Weblogという形で
垂れ流す事に、自分自身に、疑問を感じる。
ただやってみたい、と思ったから、やってみた
ではどうも説得力が足りない。
ましてや、一時は素人ではなかったのだから。
そういった定義づけや考察を自分が怠っていることに
軽く衝撃を受ける。
卒論を書き上げて、口頭試問を受けたときに
こう切り出されたのを思い出した。
「ブログなんかが大流行で、最近は随分といろんな人が
手軽さゆえ、自分の思ってることを表現しだすようになった。
その際に殆どHTMLが意識される事はなくなってきたが
そういった現状について、あなたはどう思うか。」
確かわたしはその時に、
「バーナズ=リーはwebを開発するにあたって
現在のブラウザの原型となるアプリケーションに
HTMLエディタをくっつけるつもりだった。
というのは、当初はHTMLを利用する事によって
どんな環境にある人も、情報の受信だけでなく発信をも
(『HTMLを意識する事無く』)する事を想定していたからなんだから
現状は、いいことなんじゃねーの?」
と答えた気がする。
ところが今冷静になって考えてみると
それはますますwebにガラクタを増やしただけなんじゃないか。
確かに、どんな情報にも
(例えばわたしの今日の夕飯がチンジャオロースだった、等)
ニーズは確実に存在している、といった事を
バーナーズ=リーは繰り返し述べていたけれど
ある意味それは寛大すぎるのではないか。
ほんとに、ほんとは、さ。
必要のない情報が存在してる、と断言する事は出来ない。
何故ならわたしは全世界の代弁者じゃないし
詳しい統計を取ったわけでも、取れるはずもないから。
だけど、だけどよ。
残念ながら10人が閲覧したら9人がつまんねーという様な
コンテンツって確かに存在していて、
1人がおもしれーなら存在してていいじゃんって
いう意見が何処まで通用するか。
HTMLが、正しい使われ方にしろ誤った使われ方にしろ
webで何かコンテンツを作成する際の、必須言語として
敢然と立ちはだかっていた時には、
わたしの様な、自戒や覚悟の甘い素人を
表現する事により齎される自己満足とか自己言及の快楽とかから
遠ざける要因として働いてる側面もあったと思う。
専門的な知識がないと、一応の形として
webページを作成する事は難しかったし、
あの当時専門的な知識がある人ってことは
webの有用性とか本来の目的とか本当の楽しさとかを
弁えてる人とイコールである確率も高かったように思う。
一方で確かな知識に裏打ちされた
確固とした悪意を含むトラップとかコンテンツも存在していたけど。
だけど、今はそれよりよっぽど厄介(だとわたしは思う)な
「悪意はないけど、すごくうざったい」コンテンツは
圧倒的に増えた。
それほど「普通の人」にも、自己言及は快楽であったという事か。
何で厄介かというと、多分、だけども
悪意に対しては対策のとりようが有るし、防ぎようもある。
けれど、うざったいに対しては、是と行って防ぎようもなく。
ただ不快な思いにさせられ損、といった機会が
ぐーんと増えた。
わたしはあの時、いいんじゃねーの?と言ってはみたけど
それはあくまで、ツールとしての利便性が向上した事を
いいんじゃねーの、と言ったまでであって
それによって情報の質を問えなくなった事態までもを
いいんじゃねーの、と言ったつもりではなかった。
だけど、利便性が向上したこと自体も
喜ぶべきなのか、憂えるべきなのか
わかんなくなってきたなぁ。
免許制にしろ、と言っているわけでは勿論ないけど
誰もが先生になれない理由、
誰もが新聞記者になれない理由、
誰もが広告代理店になれない理由、
誰もが小説家になれない理由、
ってあるんだと思うだ。