(仮)日々の生活(仮)の避難所だけどメインになるかもしれない。
ちなみにプレハブには住んでません。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私はもう分からない世界へ入ってまいります。
御機嫌よう、さようなら。
皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
有難うございました。
我が家に届いた葉書の一節。
本当なら「私」の部分に、差出人の名前が入るのだけど、
きわめて個人的な内容なので公表は差し控える。
なんと言っていいか分からないほど悲しく、やる瀬の無い気持ちが
こみ上げる。
彼は今、死を迎えようとしている。
それは、肉体の死ではなく、記憶の死だ。
肉体を脅かす大病を患った所為で、体の自由が奪われ、
そして記憶も失われようとしているらしい。
だから彼は、彼の言葉を借りれば、完全に「頭の中に異常」をきたして
仕舞う前に、まだ自分で言葉を紡ぐ事の出来るうちに、親しい人に
お別れの挨拶状を出したのだ。
老いは残酷だ。でも老いは誰にでもやってくる。
彼とて例外ではなかったという事だ。
彼は父の恩師で、わたし自身も何度もお会いした事のある方だ。
わたしの父は、彼を大変尊敬しており、その証に彼と同じ名前を自分の
子ども―つまりわたしの弟につけようとした。
実際にはその当時名前にはつかえない漢字であるという事から役所に
断わられ、彼の名に極近い名前が与えられた。
彼は大変達筆で、ブルーブラックのインクで書かれた綺麗な文字の並ぶ、
四季折々の挨拶状を欠かさずくれた。
わたしたち家族も、毎年夏には彼の住むところへ旅行し、お会いした。
家族で旅行する事が少なくなっても、父は出張でその街に訪れるたび
彼と会っていたようだ。
何年か前、彼からの葉書は、直筆でなくなった。
老眼が進んで、細かい字を書くのが億劫になったのだと葉書にはあった。
ここ数年は、葉書の来る頻度もぐっと減っていたけれど、それでも
中元や歳暮の挨拶の時分には、彼ならではの季節の挨拶と、彼自身の
近況とが、美しくウィットに富んだ文章によって綴られていた。
そういったやりとりが、これから先もずっと続くものと思っていた。
中味が直筆でなくなっても、宛名だけはいつも直筆だったので
今日の葉書も、もしかして、と思って宛名を見てみた。
例に漏れず、父の名が直筆で書かれていたけれど、以前のような
美しさが失われつつある文字だったのが、一層悲しかった。
病気が回復されるのを切に願っている。
PR