(仮)日々の生活(仮)の避難所だけどメインになるかもしれない。
ちなみにプレハブには住んでません。
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自分の彼氏と名の付く、親しくさせてもらってる男性が、
ストレイテナーの人にそっくりだって事に今日気がついた。
どのパートやってる人かは分からん。
ストレイテナーの人にそっくりだって事に今日気がついた。
どのパートやってる人かは分からん。
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わき腹痛いのは、水曜日の午後あたりに収束しました。
すげー時間かかった。
あとは、日がたつにつれて、どうやら飲み屋でエライ事しでかした
っぽいってのが段々分かってきた。
上司に、死んじゃえよー、とか言ってたらしい。
あと、夏に結婚する同僚に、嫁の何処が良かったんすか、とか
どの辺が決め手でしたか、とかチャームポイントは何ですか、とか
そう云った事もしつこく聞いていたとか。
おかしいなあ。記憶無くするなんて、今までに経験無いぞ。
歳の所為かな。
毎回言ってる気もするけど、今後十分気をつけることにした。
たしかに、今回は気が抜けてた。引き締めねば。
話は全然変わるのですが、自分でも不思議な自分の行動ってないですか。
わたしの場合、七不思議どころの話じゃなくて、幾つもあるんだけど、
例えば、この連絡、電話一本入れておきさえすれば、後々ごたごたに
ならずに済むのに、何故かその場では「ま、いっか」と、やるべき事を
スルーしてしまう。そして後日大惨事に。(まさに今日そうだった)。
この失敗、何度も繰り返してしまうあたり、わたしのダメ人間さが
伺えるのではないかと思うけれど、忘れた頃にやってしまう。
で、今日も電話口で凄まれましたとさ、、、。
今思い出してもむかつく話だけどな。
まだまだ有る。これは女子ならば少し位は分かっていただけるのでは、
と思うけれど、
コットンを買いに行った薬屋で、会計してみりゃ4,000円也。
普通、化粧水を肌につける時に使うコットンなんつーのは、
500円玉一枚握り締めてレジ通ればお釣りが来る。(お高いのは別よ)
なのに。気がついたら、カゴ持ってんだよな。
カゴの中には、やれアイシャドウだ、やれマニキュアだ、
やれ石鹸だ、シャンプーだ、、、、ときりが無いほどの物品が。
コットン一箱か二箱なんて、すんげー軽いはずなのに、右腕に
ぶら下げてるカゴったら結構な存在感っつーか重量感だもん。
全然必要ないのにコンドームとかまで見るもんね、店内くまなく。
ドラッグストアは、基本的に一つ一つの品物が、大して高くは
ないのですよ。そこが落とし穴で「あ、これいーじゃーん」と思ったら
次の瞬間にはカゴに入れてる。
結局お高い買い物になってしまう、というわけなのだ。
この、カゴってのも曲者で、同じ現象がわたしの場合は無印良品と
ユニクロでも起きます。
なので、本屋に小さめのカゴが置いてあったら相当やばいのでは、
と思って、そう云う本屋がこの地域に出現しないか戦々恐々としている。
(出来たら十中八九行くけど)
あと、これはコトノハのほうにも投稿しましたが、整理が苦手なので
財布の中にレシートがたまるのだけど、たまにそれを見ても自分が
何を買ったのか思い出せないときがある。これは本当に謎。
稀に起こる事だと、何故か似てないのに誰かのモノマネにチャレンジ
してしまう、とか(対象が有名人であるかないかに関らず)
ATMに行かないとお金が無いのを知っていて、ATMに寄らずに遊びに
出てしまう、そして夜になってコンビニですら下ろせなくなって
途方に暮れる、とか、凄く流暢に喋る男の話はついつい腰を折りたく
なってしまう、とか、特に洋服関係のショップの大きい袋は、
使う当ても無いのにとりあえず取っておいてしまう、とか
眠いのが分かっているのにテレビを消さないで居て、結局其の侭
寝てしまい、真夜中にテレビの音で目が覚める、とか。
これらの不思議行動は、自分の場合、性格的にも生活的にも
何一つきっちりとしておらず、だらしなくのんべんだらりと
暮らしてるので、そういった事が色濃く反映された物となってる。
それが情けなくもあり、悲しくもあり、、、。
一つ言えるのは、「こだわり」とは違うということか。
「こだわり」は、確固とした意思を以って、自分の行動を選ぶ、という
ニュアンスがあるけれど、上記の様な行動は、別にそう云う意志が
あるわけではない。
寧ろ、無意識の行動に自分自身迷惑する事も多いのだが、
何故かやめられない。
こういうのを意識的に治していくことこそが、大人なんだと思うけど、
あーわたしは全然まだ大人になれそうもない。
すげー時間かかった。
あとは、日がたつにつれて、どうやら飲み屋でエライ事しでかした
っぽいってのが段々分かってきた。
上司に、死んじゃえよー、とか言ってたらしい。
あと、夏に結婚する同僚に、嫁の何処が良かったんすか、とか
どの辺が決め手でしたか、とかチャームポイントは何ですか、とか
そう云った事もしつこく聞いていたとか。
おかしいなあ。記憶無くするなんて、今までに経験無いぞ。
歳の所為かな。
毎回言ってる気もするけど、今後十分気をつけることにした。
たしかに、今回は気が抜けてた。引き締めねば。
話は全然変わるのですが、自分でも不思議な自分の行動ってないですか。
わたしの場合、七不思議どころの話じゃなくて、幾つもあるんだけど、
例えば、この連絡、電話一本入れておきさえすれば、後々ごたごたに
ならずに済むのに、何故かその場では「ま、いっか」と、やるべき事を
スルーしてしまう。そして後日大惨事に。(まさに今日そうだった)。
この失敗、何度も繰り返してしまうあたり、わたしのダメ人間さが
伺えるのではないかと思うけれど、忘れた頃にやってしまう。
で、今日も電話口で凄まれましたとさ、、、。
まだまだ有る。これは女子ならば少し位は分かっていただけるのでは、
と思うけれど、
コットンを買いに行った薬屋で、会計してみりゃ4,000円也。
普通、化粧水を肌につける時に使うコットンなんつーのは、
500円玉一枚握り締めてレジ通ればお釣りが来る。(お高いのは別よ)
なのに。気がついたら、カゴ持ってんだよな。
カゴの中には、やれアイシャドウだ、やれマニキュアだ、
やれ石鹸だ、シャンプーだ、、、、ときりが無いほどの物品が。
コットン一箱か二箱なんて、すんげー軽いはずなのに、右腕に
ぶら下げてるカゴったら結構な存在感っつーか重量感だもん。
全然必要ないのにコンドームとかまで見るもんね、店内くまなく。
ドラッグストアは、基本的に一つ一つの品物が、大して高くは
ないのですよ。そこが落とし穴で「あ、これいーじゃーん」と思ったら
次の瞬間にはカゴに入れてる。
結局お高い買い物になってしまう、というわけなのだ。
この、カゴってのも曲者で、同じ現象がわたしの場合は無印良品と
ユニクロでも起きます。
なので、本屋に小さめのカゴが置いてあったら相当やばいのでは、
と思って、そう云う本屋がこの地域に出現しないか戦々恐々としている。
(出来たら十中八九行くけど)
あと、これはコトノハのほうにも投稿しましたが、整理が苦手なので
財布の中にレシートがたまるのだけど、たまにそれを見ても自分が
何を買ったのか思い出せないときがある。これは本当に謎。
稀に起こる事だと、何故か似てないのに誰かのモノマネにチャレンジ
してしまう、とか(対象が有名人であるかないかに関らず)
ATMに行かないとお金が無いのを知っていて、ATMに寄らずに遊びに
出てしまう、そして夜になってコンビニですら下ろせなくなって
途方に暮れる、とか、凄く流暢に喋る男の話はついつい腰を折りたく
なってしまう、とか、特に洋服関係のショップの大きい袋は、
使う当ても無いのにとりあえず取っておいてしまう、とか
眠いのが分かっているのにテレビを消さないで居て、結局其の侭
寝てしまい、真夜中にテレビの音で目が覚める、とか。
これらの不思議行動は、自分の場合、性格的にも生活的にも
何一つきっちりとしておらず、だらしなくのんべんだらりと
暮らしてるので、そういった事が色濃く反映された物となってる。
それが情けなくもあり、悲しくもあり、、、。
一つ言えるのは、「こだわり」とは違うということか。
「こだわり」は、確固とした意思を以って、自分の行動を選ぶ、という
ニュアンスがあるけれど、上記の様な行動は、別にそう云う意志が
あるわけではない。
寧ろ、無意識の行動に自分自身迷惑する事も多いのだが、
何故かやめられない。
こういうのを意識的に治していくことこそが、大人なんだと思うけど、
あーわたしは全然まだ大人になれそうもない。
お腹いたいです。
左のみぞおち辺りから背中にかけて重く鈍く痛みます。
ちょっとグーグル先生に聞いてみたら、膵臓関係らしいです。
心当たりはあります。
土曜日に大酒を飲みました。
上司とか先輩に色々絡んだ気はしますが全く覚えてません。
飲酒量も覚えてません。が、焼酎の瓶を空にした気がします。
そしてビールに至ってはジョッキ何杯頂いたのか分かりません。
で、今日、日曜日、朝起きたらすげー気分が悪くて
あーまた二日酔いかぁーと思ってるうちにまた寝てしまって、
次に起きた時には、気持ち悪いとか頭痛とかは消え去っていました。
この、みぞおち痛以外は。
最初、痛いところが少しおかしいけど、胃痛だろうか、と思い
胃薬を飲んでみたのですが、一向に鈍痛がやまない。
指でぐーっと押すと幾らか楽になるのだけど、それも一瞬で
横になっても立っていても、左脇がずーんと痛い。
膵臓って、中年男性が悪くするらしいよ。
もうわたしゃ駄目だ。火曜日あたり内科に行こうかな、、、。
左のみぞおち辺りから背中にかけて重く鈍く痛みます。
ちょっとグーグル先生に聞いてみたら、膵臓関係らしいです。
心当たりはあります。
土曜日に大酒を飲みました。
上司とか先輩に色々絡んだ気はしますが全く覚えてません。
飲酒量も覚えてません。が、焼酎の瓶を空にした気がします。
そしてビールに至ってはジョッキ何杯頂いたのか分かりません。
で、今日、日曜日、朝起きたらすげー気分が悪くて
あーまた二日酔いかぁーと思ってるうちにまた寝てしまって、
次に起きた時には、気持ち悪いとか頭痛とかは消え去っていました。
この、みぞおち痛以外は。
最初、痛いところが少しおかしいけど、胃痛だろうか、と思い
胃薬を飲んでみたのですが、一向に鈍痛がやまない。
指でぐーっと押すと幾らか楽になるのだけど、それも一瞬で
横になっても立っていても、左脇がずーんと痛い。
膵臓って、中年男性が悪くするらしいよ。
もうわたしゃ駄目だ。火曜日あたり内科に行こうかな、、、。
今、車の中で久々に「SICKS」を聴いている。
「JAGUAR HARD PAIN」よりよっぽどコンセプトアルバム
っぽいのでは?と思う。
文法的には、SICKという単語に複数形のsをつけるのは間違いだ、
とどこかで聞いた事がある。
でも、このアルバムの曲は確かに1曲1曲が何らかの病気に
苛まれてる人の歌だ。だから、SICKSって、あーなるほどな
ってタイトルだなあ。
なんて運転中ぼんやり考えるのが好きだ。
今日は夜から雷がすんごかったので、部屋の電気を消して雷鑑賞を
しました。写真も、連写機能を使ってなんとか稲光を撮ろうと
挑戦しましたが、難しい、、、全然上手く取れなかった。

これが限界。端の方にちょろっと。難しいなー、、、。
と言う訳でテンプレート変えました。
「JAGUAR HARD PAIN」よりよっぽどコンセプトアルバム
っぽいのでは?と思う。
文法的には、SICKという単語に複数形のsをつけるのは間違いだ、
とどこかで聞いた事がある。
でも、このアルバムの曲は確かに1曲1曲が何らかの病気に
苛まれてる人の歌だ。だから、SICKSって、あーなるほどな
ってタイトルだなあ。
なんて運転中ぼんやり考えるのが好きだ。
今日は夜から雷がすんごかったので、部屋の電気を消して雷鑑賞を
しました。写真も、連写機能を使ってなんとか稲光を撮ろうと
挑戦しましたが、難しい、、、全然上手く取れなかった。
これが限界。端の方にちょろっと。難しいなー、、、。
と言う訳でテンプレート変えました。
思い切り髪を切りました。
美容室の床がえらい事になりました。
美容師の方が「今僕の立ってるところふっかふかですよ」
というので、大げさだなあ、と思ってみてみたら本当にふかふかでした。
すげー金持ちの家の、客間へ続くドアの前にあってもおかしくなさそうな
ふかふかマットの様相を呈していました。
あれ、多分ヅラだったら3人分はあったかと思います。
何cm切った、という表現の仕方が自分に馴染まなくて、
良く分からないのですが、多分cmに換算すると10cm以上はいきました。
此処の美容師さんのカットは、再現性が高いので、助かります。
さて、髪を切りに行ったその足で、花見をしてきました。
酒ありの花見は今週末に予定があるのですが、昨日は酒なしの
花見と言うよりは散策に近いぶらぶら歩きをしました。
文句なしの満開、大変美しい。日本人でよかったなあと思いました。
この日は曇天でしたが、前日は快晴だったのにも関わらず
桜がたくさん咲いてる五稜郭公園の周辺はぼんやりしてたので
多分あれは花霞じゃなかろうかと思います。

連休最終日だけあって、観光客らしき方々は連休最中よりも随分
少なかったように思いますが、それでもたくさんの花見客で賑わってました。
多分主に地元客なのだと思います。

見事な枝ぶりです。クリックで拡大(するほどの画像でもないか)
しかし毎年花見に行って疑問なのですが、どうして花見の会場は
ヤンキー臭のする方たちの濃度が高いのでしょうか。
分母の問題―つまり、土地柄なのか、はたまたそういう方たちは
お祭り騒ぎが好きなのか。今年もまたジャンボカットを発見しました。
まだ生きてたんですね、ジャンボカットという文化が。
あのチョロ毛の先端だけを染めるのは、何の意思表示なんだろう、、、。
今年は脚を大胆に露出してる女性が多かったように思います。
ショートパンツが流行ってるからでしょうか。
足元は大抵ピンヒールだったように思いますが、
ほそっこい脚とヒールの華奢な感じが相まって、大変お似合いというか
まぁ若さを謳歌してるなぁと行った感じ。
残念なのは、靴のシルエットが美しくない、靴が汚れている、
折角美しい足と靴をはいているのに、はき方が汚い(バックストラップを
踏んづけている等)、膝が曲がったまま歩いてる、といった方が
多く見られたこと。中には明らかにサイズのおかしいものを
はいている人も居ました。
やっぱりどうも、靴に目が行ってしまいます。
(そもそも起伏に富んだ地形、石畳という場所でかかとの高い靴は
如何な物か、という老婆心)
田舎は、靴を綺麗に履いてる人が少なくて、そう云うところが残念です。
特に若くてきれいなお嬢さんは、膝から下が長いので、良くも悪くも
目立ちますな、、、。
とかいう話をずらりと並ぶ屋台のうち、無愛想なおっちゃんとおばちゃん
2組がもくもくと手を動かすたこ焼きやさんの行列待ちの間中
連れの方に話していましたら、ピーコ気取りうるせぇ、と一蹴して
頂きましたので、お詫びにアツアツのたこ焼きを頬張り、
咀嚼するフリをして「あんまり熱くないよ」と伝えてやりました。
その方の口から勢い良くたこ焼きがトレーの上へと逆噴射された瞬間を、
わたしは生涯とはいわずとも、後2,3ヶ月は忘れないでしょう。
そして酒を飲むたびにバカにしてやりたいと思います。
第一、さっきまで鉄板の上で焼いてたもんが、「あんまり熱くない」はず
ないのです。

八重桜はまだ咲いてません。
おまけ。

鹿。
鹿よりも地面のうんこに目がいきますね。
うさぎと同じようなうんこです。
美容室の床がえらい事になりました。
美容師の方が「今僕の立ってるところふっかふかですよ」
というので、大げさだなあ、と思ってみてみたら本当にふかふかでした。
すげー金持ちの家の、客間へ続くドアの前にあってもおかしくなさそうな
ふかふかマットの様相を呈していました。
あれ、多分ヅラだったら3人分はあったかと思います。
何cm切った、という表現の仕方が自分に馴染まなくて、
良く分からないのですが、多分cmに換算すると10cm以上はいきました。
此処の美容師さんのカットは、再現性が高いので、助かります。
さて、髪を切りに行ったその足で、花見をしてきました。
酒ありの花見は今週末に予定があるのですが、昨日は酒なしの
花見と言うよりは散策に近いぶらぶら歩きをしました。
文句なしの満開、大変美しい。日本人でよかったなあと思いました。
この日は曇天でしたが、前日は快晴だったのにも関わらず
桜がたくさん咲いてる五稜郭公園の周辺はぼんやりしてたので
多分あれは花霞じゃなかろうかと思います。
連休最終日だけあって、観光客らしき方々は連休最中よりも随分
少なかったように思いますが、それでもたくさんの花見客で賑わってました。
多分主に地元客なのだと思います。
見事な枝ぶりです。クリックで拡大(するほどの画像でもないか)
しかし毎年花見に行って疑問なのですが、どうして花見の会場は
ヤンキー臭のする方たちの濃度が高いのでしょうか。
分母の問題―つまり、土地柄なのか、はたまたそういう方たちは
お祭り騒ぎが好きなのか。今年もまたジャンボカットを発見しました。
まだ生きてたんですね、ジャンボカットという文化が。
あのチョロ毛の先端だけを染めるのは、何の意思表示なんだろう、、、。
今年は脚を大胆に露出してる女性が多かったように思います。
ショートパンツが流行ってるからでしょうか。
足元は大抵ピンヒールだったように思いますが、
ほそっこい脚とヒールの華奢な感じが相まって、大変お似合いというか
まぁ若さを謳歌してるなぁと行った感じ。
残念なのは、靴のシルエットが美しくない、靴が汚れている、
折角美しい足と靴をはいているのに、はき方が汚い(バックストラップを
踏んづけている等)、膝が曲がったまま歩いてる、といった方が
多く見られたこと。中には明らかにサイズのおかしいものを
はいている人も居ました。
やっぱりどうも、靴に目が行ってしまいます。
(そもそも起伏に富んだ地形、石畳という場所でかかとの高い靴は
如何な物か、という老婆心)
田舎は、靴を綺麗に履いてる人が少なくて、そう云うところが残念です。
特に若くてきれいなお嬢さんは、膝から下が長いので、良くも悪くも
目立ちますな、、、。
とかいう話をずらりと並ぶ屋台のうち、無愛想なおっちゃんとおばちゃん
2組がもくもくと手を動かすたこ焼きやさんの行列待ちの間中
連れの方に話していましたら、ピーコ気取りうるせぇ、と一蹴して
頂きましたので、お詫びにアツアツのたこ焼きを頬張り、
咀嚼するフリをして「あんまり熱くないよ」と伝えてやりました。
その方の口から勢い良くたこ焼きがトレーの上へと逆噴射された瞬間を、
わたしは生涯とはいわずとも、後2,3ヶ月は忘れないでしょう。
そして酒を飲むたびにバカにしてやりたいと思います。
第一、さっきまで鉄板の上で焼いてたもんが、「あんまり熱くない」はず
ないのです。
八重桜はまだ咲いてません。
おまけ。
鹿。
鹿よりも地面のうんこに目がいきますね。
うさぎと同じようなうんこです。
夏、に結婚式があるので、
今、から何をきればよい物かと暫し悩む。
此処、函館は、全くといっていいほど、素敵な洋服がない、ので
困ったな、、、。
あと、デブなんで、これも、困った、けれど、自分の所為だからね。
夏なのが、良くない。
場所が札幌なのが、良くない。
着物を持っていけないじゃない。着付けも出来ないし。
正直、そう云ったものに金と時間かけるのは好きじゃない。
だってどうせ普段着ないのだし。どうしたもんかねえ。
そして、全くの個人的な事情ですが、暴走呼ばわりされちゃった。
わたしは一体、どうすればよいのか。
カチンと来てぶんむくれたりしちゃいけないらしい。
こう云った場合、理由は如何あれ、怒らせた方がまず
どうしてそうなったか、って事を聞かないと、話が進まない。
とりあえず、何で怒ってんのか説明はしたけれど、
テメェだって同じ穴の狢じゃねぇか、と返り討ちにあわされた。
此処で、嗚呼もう何を言っても無駄だな、と直感したので
何故かわたしが謝って、ただひたすら謝って、今も謝ってる最中で、
そうして油断させている。
死んだら負け。
ずっと昔に決めた自分のルールだ。確かあれは9年程前の今日。
だから、わたしはその勝負に勝たなきゃならない。
相手にとどめを刺して、わたしは生き残らなきゃならない。
話しても分かってもらえない、お前の躁鬱にはうんざりなんだと言う
一言で片付けられる、この悔しさは。
以前であれば、再起不能寸前の自分を見せ付けることによって
解決したのだけれど、今はそういう憐れみの気持ちすら沸かない様でね。
だから、刺し違えるの。
今、から何をきればよい物かと暫し悩む。
此処、函館は、全くといっていいほど、素敵な洋服がない、ので
困ったな、、、。
あと、デブなんで、これも、困った、けれど、自分の所為だからね。
夏なのが、良くない。
場所が札幌なのが、良くない。
着物を持っていけないじゃない。着付けも出来ないし。
正直、そう云ったものに金と時間かけるのは好きじゃない。
だってどうせ普段着ないのだし。どうしたもんかねえ。
そして、全くの個人的な事情ですが、暴走呼ばわりされちゃった。
わたしは一体、どうすればよいのか。
カチンと来てぶんむくれたりしちゃいけないらしい。
こう云った場合、理由は如何あれ、怒らせた方がまず
どうしてそうなったか、って事を聞かないと、話が進まない。
とりあえず、何で怒ってんのか説明はしたけれど、
テメェだって同じ穴の狢じゃねぇか、と返り討ちにあわされた。
此処で、嗚呼もう何を言っても無駄だな、と直感したので
何故かわたしが謝って、ただひたすら謝って、今も謝ってる最中で、
そうして油断させている。
死んだら負け。
ずっと昔に決めた自分のルールだ。確かあれは9年程前の今日。
だから、わたしはその勝負に勝たなきゃならない。
相手にとどめを刺して、わたしは生き残らなきゃならない。
話しても分かってもらえない、お前の躁鬱にはうんざりなんだと言う
一言で片付けられる、この悔しさは。
以前であれば、再起不能寸前の自分を見せ付けることによって
解決したのだけれど、今はそういう憐れみの気持ちすら沸かない様でね。
だから、刺し違えるの。
初日だけだったな。顔を映したのは。
あれは、いい顔だった。
人間、本当の無表情ってのは多分あの顔だ。
喜怒哀楽は勿論、生の匂いすら消えかかってるあの顔。
あそこに漂っていたのは、「新鮮な死」の匂いであったように思う。
新鮮な死の現場は、そう簡単に居合わせられるものではない。
そしてそれは、突然でなければならない。
病気の療養で、長く臥せっていた、というのでは匂いの濃さが
違うと思う。
死、と言うのがある一定量の匂いしか持っていなくて、
例えば病気の間中、少しずつその匂いが漏れ出しているとすると、
愈々死が本当にやってきたときには、残っている匂いは当初の匂いより
相当減ってしまっているだろう。故に、濃度は低く感ぜられるだろう。
それとは逆に、死が突然訪れたなら、一定量の匂いは、少しも
事前に失われる事無く、一気に解放されるだろう。
故に濃度は高く、より新鮮な感じを与えるのではないか。
二進数のようだな、とも思う。
切り替えが延々だらだらと続いていないで、0か1かしかない
―つまり生き死にのスイッチングが極めて簡素で決定的であり、
絶対的な質の違いが分かり易く示される、と言う意味では。
わたしは、そう云った新鮮な死の現場に居合わせたいとは
露ほども思わない。寧ろ、絶対に嫌だ。
しかし先日体験したように、媒体を通じた疑似体験、これには
正直なところ、好奇心に抗えないふしがある。
不謹慎、悪趣味、と言われてしまえばそれまでだし、
そう云った視覚的な情報或いは伝聞を探し出してまで触れてみたいか、
と言われればそこまで耐性がついていないし情熱も持ち合わせていない。
でも、何か。怪しく引きつける何か。
多分畏れの一種、なのだろうけど、久々に民法のテレビ放送を見ていて
それが刺激される思いがした。
鮮やかさに関心してるのだろうか。
ああいう顔のほかにも、投げ出された(特にスカート履きの女性の)
脚、なんかにも興味がある。
ド変態ですね。
あれは、いい顔だった。
人間、本当の無表情ってのは多分あの顔だ。
喜怒哀楽は勿論、生の匂いすら消えかかってるあの顔。
あそこに漂っていたのは、「新鮮な死」の匂いであったように思う。
新鮮な死の現場は、そう簡単に居合わせられるものではない。
そしてそれは、突然でなければならない。
病気の療養で、長く臥せっていた、というのでは匂いの濃さが
違うと思う。
死、と言うのがある一定量の匂いしか持っていなくて、
例えば病気の間中、少しずつその匂いが漏れ出しているとすると、
愈々死が本当にやってきたときには、残っている匂いは当初の匂いより
相当減ってしまっているだろう。故に、濃度は低く感ぜられるだろう。
それとは逆に、死が突然訪れたなら、一定量の匂いは、少しも
事前に失われる事無く、一気に解放されるだろう。
故に濃度は高く、より新鮮な感じを与えるのではないか。
二進数のようだな、とも思う。
切り替えが延々だらだらと続いていないで、0か1かしかない
―つまり生き死にのスイッチングが極めて簡素で決定的であり、
絶対的な質の違いが分かり易く示される、と言う意味では。
わたしは、そう云った新鮮な死の現場に居合わせたいとは
露ほども思わない。寧ろ、絶対に嫌だ。
しかし先日体験したように、媒体を通じた疑似体験、これには
正直なところ、好奇心に抗えないふしがある。
不謹慎、悪趣味、と言われてしまえばそれまでだし、
そう云った視覚的な情報或いは伝聞を探し出してまで触れてみたいか、
と言われればそこまで耐性がついていないし情熱も持ち合わせていない。
でも、何か。怪しく引きつける何か。
多分畏れの一種、なのだろうけど、久々に民法のテレビ放送を見ていて
それが刺激される思いがした。
鮮やかさに関心してるのだろうか。
ああいう顔のほかにも、投げ出された(特にスカート履きの女性の)
脚、なんかにも興味がある。
ド変態ですね。