忍者ブログ
(仮)日々の生活(仮)の避難所だけどメインになるかもしれない。 ちなみにプレハブには住んでません。
2025/02 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

どっかのニュースサイトで読んだのだけれど

男女の関係に於いて、時間と正比例して深まるのが愛情で

反比例して希薄になっていくのが肉体的な繋がりなんだそうだ。

これについて、もう付き合って4年位?になる恋人に

ねぇねぇどう思う?と問い掛けたら



「あー、どう思うっていうか、あれだ。

 俺ねー、今眠くてよくわかんない。



と答えやがった。そしてその後すぐ寝やがった。



も う 聞 か ね ぇ 。



恋人から古女房への変貌を遂げた瞬間を暴露してみました。

これを情報公開といいます。

どうせはぐらかされる様な存在なんです。えぇ。



今まで

「付き合い長くなるとどうしてもなあなあになっていくよ」

という意見を(´_ゝ`)フーンと思っていたのだけど

ここへ来てぐっと現実味を帯び始めたよ。

「大切にしてくれますか?」

ってアヤヤばりのスキル駆使して問い直してぇ。

いや、その前にそのスキルを習得してぇ。



良く「美人は3日で飽きる」と言いますが、

これって酷い言い回しじゃね?

ブスは、噛めば噛むほど・・・っていう事を言い表したいのかもしんないけど

逆に失礼だって。スルメ扱いかよ。

これだけは言わせて、ブスの一端を担うブスのニューエイジとして。



スルメとか言う前に、手ェつけてもらえないから。



闘わなきゃー現実と!

ビューテホーな方達が、微笑み一つで済むところを

すげぇ努力しなきゃいけないから、ブス。

美人の真似して微笑もうものなら

にやにやするな!とか注意されちゃうから。



いや、待て。もしかしたら・・・



美人=3日で飽きる

ブス=1日で勘弁

3>1

          ∴美人の方が良い

           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

・・・報われねぇ・・・救いがねぇ。

それと、女は愛嬌とか個性的とか言うのは禁句。

('⊇`)<全然フォローになってませんから!残念!!
PR
最近の状況を振り返ってみると、

もう堕ちる所まで堕ちないと、駄目なのでは無いかと言う気がする。

堕ちていく最中に、何を足掻こうと、無駄なのだ。

著書「堕落論」の中でこう語ったのは、言わずと知れた坂口安吾であるが

読み物として読むと、なるほど納得がいくのに

どうして自分自身のことになるとこうもすんなり腑に落ちないものか。



底の底までを体験したら、後は這い上がるだけ。

この考えを具現化するのにどの位勇気の要った事か。



途方もない憎しみと怒りとを含んだあの戦争は

街や人や日本という国家そのものまでもを破壊した。

それは大勢の人々に悲しみと絶望をもたらしたが、

一部の人々にとってはそうではなかった。



これほど格好な破壊はなかった。

どうせ総てが有耶無耶になる。



戸籍や制度でつなぎとめられた他人も、

家も、金も、自分の「所属」も、

総ては抗いようのない大きな流れにやられて

何の意味もなく、何の価値もなく、

ただ自分の生だけがありありと感じられる。



そういう状況下に置かれたという背景があってこそ

前述のような内容を論ずる事が出来たのかもしれない。



ところがどうだ。

外的な破壊がやってこないことには

勇気の無い者は、一歩たりとも踏み出せない。



それまでを破壊する勇気も無く、

かといってこれまで通りを積み上げる能力もない。



ただ途方に暮れるだけで、決して路頭に迷う事は無い。

そんな思いが、今の自分を此処まで無気力に、

此処まで無能力にしているのかもしれない。

しかしそれはまた同時に、

このままではいつか破綻する、と分かっているのに

いつまでも患部を放って置く行為に等しく、

自分で積極的な破壊が出来ないゆえに、

成り行きがもたらすゆっくりとした破綻を

本能的に待ち望んでいると言う証拠かもしれない。



もどかしい。

望みや甘えを棄てきれるわけでもなし、

それらを盲信できるわけでもなし。



いい加減自分の心の揺れ動きに付き合うのも限界だ。

昨日まで楽しかった事はもう、楽しみではなく、

昨日気にも留めなかったことが、今日の大問題。



自分の内側が、嗚咽を漏らすことも少なく無い。

一番信頼のおける人間にすら、話さない。



誰かが気に留めてくれている。

誰かが愛してくれている。

誰かが指示を買って出てくれている。

それが何だって言うんだろう。

そんなことを考え出して、どうにかなってしまったんだろうか。



一人で生きているなんて死んでも思いたくない。

ただただ一人きりなんて、甘ったれには耐えられない。



だけど、他人の足で自分の目的地へ行く訳にはいかないだろう。

それと同じだ。

建て前とか、すべき事とか、なるべき状態とか、

そんな事を気にしてばかりいたら、

人の後ばっかり追っていた様な気さえする。



どこへ、行きたかったんだろうか。

何を棄てて、何を得たいと思っていたんだろう。



成り行きに任せるにしろ、自分で手をかけるにしろ、

全部リセットだ。
あー、おっほん。



ベイビー。



どうも。雨風が瞬く間にどっかへ行きました。

台風って、あっけないね。その潔さは良しとしよう。



ギターがガリガリ鳴っている。心地良い。

アルバイト先では「身体の調子悪そうね」と言われ

早退まで勧められる。お言葉に甘えてちゃお金もらえない。

死んだ魚みたいな目、してたのかもしれない。

キレ30%減(当社比)で、お仕事。

気がついたら、こんな所で何してんだろうって事ばかり考えてたから

無理矢理奮起でドラムセットを組む!

帰宅後偏頭痛。



何やっても、ぱっとしない。

とりあえず今日締め切りの書類は、ぶっちぎった。

建前とか「やるべきだから」とか一切考えずに誰にも相談せずに。

昨日聴いた曲のフレーズが気に入っただけ。

「『たてまえ』じゃねぇ立たせてもらえ」



折角腹に錘宿した「身重」の身体で訪ねたのに

我らが総統、留守でやんの。

夏期休暇中の構内は暗くて静か。

ライトの付いてない廊下は、変な所に続いてそうだ。

ミッシェルのポスターが貼られたいつものドアも生き生きしてる。

久しぶりに会ったお仲間はちょっと太ったみたいだった。

太る余裕なら、同じ様に持ってるのになぁ。

おととい会ったあの娘も、

なんだかちょっとふくよかだったっけ。



オリンピックも高校野球もどちらにも興味がない。

夢とか努力とか苦労とか挫折とか達成とか汗とか涙とか

どれ一つとてマッチしない。

敏感に反応してアンテナ畳む事も出来ない。



ほんのりとした不条理さを垣間見たい。

だから今一番欲しい物は「ぶた」っていう絵本。

この前手に入れたリサとガスパールの新刊じゃ

2人はとっても楽しそう。

リサの「ひゃー!」が聞きたいが為に続編を心待ち。



最近は、驚くほど寝つきが良い。

殆ど何も考えられない状態になって

死んだように眠る。だから鬱じゃない。



今日も綺麗なファルセット聞いておやすみ。
今日本屋で随分懐かしい本が表紙も新たになっているのを見つけたので

あぁ、コメントしてなかったなぁと思って。今更コメント。



不道徳教育講座

角川書店

このアイテムの詳細を見る


思い入れが強すぎてうまく紹介の出来ない作家の1人。三島由紀夫。

とはいえ、今回紹介させていただくのは

素晴らしい小説でも、戯曲の数々でもなく、エッセイ。



「不道徳」というだけあって、中には

「弱いものをいじめるべし」なんて項目もある。

しかし読み進めればすぐ、その本当の意味は分かる。

このエッセイが書かれた当時とは、社会や文化的な背景は随分違うものの、

現代にも十分通用するような「講座」ばかりである。



今日本屋で見かけた文庫版の帯には

「三島のウィットに富んだ視点による・・・」

みたいな事が書いてあったが、まぁ要するにひねくれている。

だけれども、ことの本質を捉えきっている。



わたしがこのエッセイに出会ったのは高校時代だっただろうか。

まだ、人生経験が浅く(今だって十分そう)、中には

「へぇ~・・・大人の世界はそうなのね」と

良い悪いも分からずに、受け入れていた話もあったが

今読み返してみると、

「ははぁん、あるある、そういうこと」と

納得できて、自分が確実に(not着実)歳を食ったのを感じる。



どの回も綺麗に「ふって、落とす」という形が守られてあって

よくもまぁ、毎回こんなに色々思いつくもんだと感動する。



ただ、個人的にこう云う視点を持つ事は結構気持ち良い。

多分、元来の性格がひねくれているからしっくり来るのだろう。



ひねくれてる云々を抜きにしても、

物事に対して批判的な視点を忘れないというのは結構大事かもしれない。

それの端たる例が、ネットや新聞テレビなどのメディアとの付き合い方で

もう今時、総てを鵜呑みにしている人なんていないかもしれないが

下手すりゃお堅い系の新聞だって、ものすげぇ嘘を書いている事もある。

(いつだったか、ワームの事を、コンピュータウィルスって書いてたよ・・・)



だから、どんなに正しそうでももっともらしくても

心のちょっとしたどこかで「それほんとかぁー?」って思う事が

賢い身のこなし方に繋がっていくかもしれない。

(余り疑いすぎだと、偏屈な奴という噂が立って嫌われる可能性大)



疑ってかかったほうが、面白い事が多い。

例えば、とある人の信じられないような話を聞いて

「それほんとかよ?」っていうワンクッションが合った方が、

もし本当だった時は、「うわ、ほんとだ」っていう驚きがあって楽しい。

もし嘘だった時は、「やっぱり嘘だった」っていうシメシメ感があって楽しい。



まぁ、以上の事はこの本の内容とは直接関係ないのだけれど。脱線。



勿論、視点だけじゃなくて、毎回語られているエピソードそれ自体が

「なるほどねぇ」とか「そういうことあるわ、確かに」とか

言いたくなるようなものが多い。

堅苦しくなく、人生のちょっとした勉強が出来た気分になれる一冊。



あぁ。やっぱり冷静な本の紹介が書けなかった・・。
先週受けた会社、落ちたくさ。

またイチから就活やりなおしかー・・・。はぁ。

もうぼちぼちアテもなくなってくるわぃな。

きっと、本当に就職できないんだろうなーわたし。



ま、あすこの会社の人にランチ奢ってもらえたから

それでよしとするかー。得したね。1000円弱。



昨日は凄く下らないことでカッティーン!と来てしまい

彼氏様と電話口で大喧嘩。

最後はもう何が何だかわからない状態で、急に腹が痛み出し、

内臓がひっくり返るんじゃないかというくらい悶え苦しんだ挙句

電話したまま2,3分気が遠のいてしまった。

身体も心も意味不明!

大丈夫かだの救急車よべだの薬はないのかだの言い合っているうちに

結局お互い喧嘩の事なんかどうでも良くなって終了。



あー・・・人として最悪。



遊び呆けて気がつかないふりをしてたけど

全然遊んでる場合じゃなかった。



中味が、足りないんだよなぁ。

成熟してないっていうか。なんていうか。



今日カラオケに行って、16歳位の時のヒット曲をまとめて表示したら

色んな事を思い出した。

少なくとも、6年前のわたしによれば

22歳のわたし、こんなはずじゃなかった。



後悔はしないとか

現状に満足しないとか

レールの上は歩かないとか

自分で決めていくとか

そういうカッコいい事は、到底言えない。



後悔ばかりだし

現状維持すら難しいし

レールを見失ってるし

自分でどうにもならないし



リアルに生きるって事は

思っていたより、絵にならんらしい。



大事な人と険悪になることも

受けた会社に落ちることも

情けないくらい絵にならないことも

総てはわたしの「悪さ」に起因してるんだろう。



いつ如何なる時も、自分が評価されない等と考えてはいけない。

行く所へ行っても、出る所へ出ても、

そう云う人間は、何処でも評価されないし、

やれば出来ると思っている事は、大抵やっても出来ない。



今。未来も過去も現在も邪魔だ。

雨の日に喜んで出てきて、雨が上がって、干上がったミミズ気分。

喜んだ事を後悔するだろう

身動きの取れない事に怒るだろう

干からびて死ぬであろう事を憂えるだろう。



22歳。思春期でもない。

22歳。大人でもない。

22歳。中間でもない。



人生の中で体験する出会いには、総て意味があるんだって。

だったら、わたしと出会った人は

わたしとの出会いにどんな意味があったのか

どれほどの価値があったのか

それが今、一番知りたい事。



いいじゃない。どんな事を求めたって、それが意味を為さなくたって

わたしの総ては繋がらないで、細切れのままなんだから。
車のMDシステムがダウンしちゃったのは以前書きましたが

それ故お気に入りの音楽は総てCDにて聴くしかないという状況です。

まぁ、チェンジャーもあるから(しかもムダに12枚搭載だから)

十分っちゃあ十分なんですが、

何しろ、MDでしか所持してない作品が一番困るですよ。

レンタルだったり、無くしたり(実はこのケースが一番多い・・・)



そんな折にたまたまCDの中古市みたいのがアルバイトの帰りに発見しまして

ディスク裏の放射状の傷で「難あり」だったCDを600円にてゲットしました。

PUNCH DRUNKARDTHE YELLOW MONKEY, 吉井和哉ファンハウスこのアイテムの詳細を見る


尤も、ネットオークションなりで落とせば相当安かったかもしれませんが

住んでいる場所がアレなもんですから、送料がバカになりません。



で、中味はといえば、おもーい感じでかなり良いです。

「LOVE LOVE SHOW」は断然アルバムバージョンのほうが好み。

他の曲も、音の厚みが凄いです。

ロンドンと、東京で録音されてたんじゃなかったっけ(うろ覚え)。

だからなのか、関係無いのか。

土地によって楽器の鳴りが違うってのは有名な話で、

ギターなんて中味も木材で出来てますから

湿度によって鳴りに違いが出るのも理論的には分からないでもないけれど。

あとは、スタジオの力とか、現地スタッフの力量とかただ単に気分とか。



まぁ、ショボいスピーカーじゃその辺を聞き分ける事は至難の業ですが。

重くて厚いのは分かるわよ。



歌詞も、物凄く閉塞感が漂う出来になっていますが一人ぼっちというよりは、

二人ぼっちな感じで、濃厚な空気が伝わってきます。



毎度の事ながら、えげつない表現も満載。



いいお買い物を、することができたみたいです。
気がついたら後半年で大学卒業ですよ。

何やってんだかさーわたし。何もしてねー。してなさすぎ。



折角出来た友達と、中々あえなくなるのね(半べそ)。

よくもまぁ、あんな普通の人々の集団の中から、

こんだけ濃い~キャラの人ばっかりひっぱってきたよ、

って言う表現がぴったりの彼女たち。

深く付き合って、失敗したなーって事がまずなかった大学生活でした。

(もしかしたらこれからすげぇ険悪な仲になって、挙句の果てに

泥沼の訴訟合戦になって、気がついたらお互い無一文とかいう可能性もあるけど)



で、大学時代に何か作ったーっていう証拠というか、経験を

しておきたいなぁ、と個人的に思い始めました。



何を、作るべきか。

あぁ。いい思い出ばかりで・・・美しすぎてなんだかなぁ(意味不明)

普通だと卒業アルバムとか・・・映像になるかな。



話は変わるけど普通すぎてつまんないとか、あんまり言うもんじゃないね。

そういうセリフは、普通をマスターしきった普通の人が言うんであって

まだ普通を達成できてない普通の人は、口だけ大将になっちゃうもん。

っていう考え方が既に普通ですか。

普通じゃない人は、そんなこと考えないし、恐れないんだろうな。



で、アルバム作ってもいいんだけれど、アレって正直

そんなに見ないでしょ?

高校卒業の時、クラスの皆でメッセージを録音してROMに焼いたんだけど

1回も聞いてない。

卒業アルバムも今何処に保管されてるのかすら知らないし、

成人式のアルバムも、1回ほどみた後お蔵入り。

わたしだけじゃ・・・ないよね??



どうやったって、今の楽しい日常や空気を

何らかの形でもって切り取ることって出来ない気がする。

これ以上ないっていう上手な形を使っても

切り取った途端にそれは古くなっていくし。



結局のところ、今の雰囲気や空気を維持させていこうとか

忘れないようにしようとかいう努力が絶対必要なんだろう。

そして、新しい日常の中で、そういう気負いはどんどん薄れていく。

後ろを見てばかりでは、思い出して遊ぶばかりでは

それ以上なーんにも出来ないって事を皆知ってる。



凄く難しい加減で、例えばざるそば食べる時に

つゆの中に入れるわさびの量くらい難しいもんで、

少なすぎても感じられないし、多すぎると辛くてダメっていう感じかしら。



何れにしろ、強制参加とか、全員参加とかそういうのが苦手なので無理やり、

「皆忘れないでね!!!」っていうプレッシャーを与える事はしたくない。



建前ばかりでは、矛盾だらけですな。情けない。



でも、今まで自分のすごしてきた時間にこんなに執着したことなかったな。

思い出を粗雑に扱いすぎてきたのかもしれないと回想。
[21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31]

<<前のページ 次のページ>>
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
フリーエリア

コトノハ更新状況


Twitter


follow undefined at http://twitter.com

ブログペット

最新コメント
[08/25 BlogPetのもふ]
[06/14 BlogPetのもふ]
[04/26 かすみち]
[04/26 ノエ]
[03/08 BlogPetのもふ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
かすみち
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
忍者ブログ [PR]